2月27日 (金)  オウム裁判に判決

今日はオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告に死刑判決が下されました。
今から9年前、平成7年当時の私にとって阪神大震災のボランティアも一息つき復興の方向が少しずつ見えかけた、お彼岸が始まる寸前の3月20日地下鉄サリン事件がおこりました。
地下鉄から被害者が運び出された駅は、築地別院のすぐそばでテレビに釘付けになったいた記憶が蘇ってきました。
この事件はオウム真理教というカルト集団が無差別殺人テロを行うという、許し難い事件でありましたが、なぜ、高学歴で優秀な若者がこのような集団の構成員となっていったかという報道が当時ありました。
そのなかで、九州の農村部出身の幹部であった信者は、「近くにお寺はあったが、それは風景みたいなもので、仏教はなかった」というよなコメントを紹介していました。
住職になって間もない私には、大きなショックでありました、せっかく近所にお寺があっても、そこでみ教えに遇うことはなかった、それどころか景色にしか見られなかった。
わたし自身、その信者の言葉が頭に突き刺さったまま、この9年間きっとこの人達が子どもの時に親鸞聖人に出会っていたら、あるいは両親・祖父母がお念仏よろこぶ人であったなら、きっと麻原の教えに盲従することは無かったに違いがないと言う確信のもと、お寺のあるべき姿を模索しながらやってきたように思います。

親鸞さまは自らの姿を阿弥陀如来を鏡として「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」としっかり見据えて下さいました。
賢善精進の相を外にしめして、内には虚仮をいだけるものが人間の本性、自ら「最終解脱者」だの「正悟師」だのというのが最も怪しいと見抜いておられます。