11月17日 (金)  離郷門徒

かって先祖代々この地に住んでいたが、今は首都圏や都会に家を建て移り住んでいる方々を離郷門徒と呼んでいる。

正尊寺のある字を寺内と呼び、お寺の西には共同墓地がある。
先日、先代の時関西に移り住まれたお宅から
「現住の近くに墓所を移動したいので遷座のお勤めをしておいて欲しい」
と連絡が入ったので、近隣のご法事の帰りにお参りした。
あいにくお花までは準備していなかったので、蝋燭と線香だけでお勤めをした。

平成15年、草ぼうぼうで川原のような足場の悪かった、かつての土葬の埋葬墓地が、コンクリートとアスファルトで区画整理された綺麗な墓地になった。
今回お勤めを依頼されたお宅もその時、土台を作り直し離郷初代のご両親のお墓も直されたばかりだ。

一人でお勤めをしながら、この故郷を生涯終焉の地として、孫子にご縁を繋ごう墓標を建てられた先代の気持ちを察し複雑な思いがよぎった。
しかし、関西と本巣の距離感は致し方ないと考えながら頼まれたお勤めを終えた。

午後は大垣方面のお取越に出かけた。夕方、移動中に携帯が鳴り、坊守の声で・・・
「明石市の○○さんの奥さんが亡くなったと連絡が入ったが、どうしよう?」
明石と言えば、神戸よりまだ向こう。すぐ伺いますとはいえない距離。しかも明日は週末とても明石まで行き来する時間は作れそうにない、そのように伝えるようにと電話を切った。

この明石のお宅、先代までは隣村に住んでおられた。ご両親の年忌には必ず家族連れで来られ、本堂でご法事を勤めてきた。娘さんは私の長女と同い年で一層の親しみがあっただけに、臨終勤行やお通夜のお勤めが出来ないことに、申し訳ない気持ちで一杯になった。

偶然にも今日は離郷門徒とについて2回も考えさせられた、だが、これから暫くするともっともっと離郷門徒は増えていくだろう。
埋めようのない距離考えさせられた一日だった。

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