3月10日 (金)  卒業式

今日は第3子にして新発意(しんぼち:お寺の跡取)の息子の中学卒業式。私は相変わらずの法事参り、坊守が見に行き写真を撮ってきた。
どの写真を見ても、いまいちピリッとしていないような。

夜、お通夜の席で商工会長さんが会葬しておられ私の前に座り、中学の卒業式に列席した話を始められた。
「若さん卒業式やったなも、・・・・今どきの中学生は返事の声が小さいで、ちょっと淋しい感じや」と卒業証書授与の感想を言われた。

写真を見ていただけに、何となくその感想から雰囲気が想像でき、「そうでしょうね」と相づちをうった。
テレなのか反抗期なのか今の若者は、大きな声ではっきりものを言わない。
昔人間には、若いエネルギーが感じられず残念に思いがちになることだ。

考えてみると若者だけでない、どこを向いても同じでは・・・
今日のお通夜でも、一緒にお念仏しましょうと呼びかけても、いっこうお念仏の渦はおこらない。
広いお座敷いっぱいの会葬者はほとんどが本願寺門徒だ、きっと昔なら、お念仏の声が溢れていただろうに。
現代社会に何が失われたのだろうか・・・・今ここに生きていることの慶びではないだろうか?
それが声となって現れるのが、念仏や溌剌とした返事では、と考えさせられた。

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