8月30日 (水)  歳は重ねたが

2日間の会議が終わり、本来なら岐阜に帰るべきであるが、坊守からも了解をもらいもう一泊京都に泊まった。
夜、引き明日も続き編集会議のある広報委員と一緒に夕食をとっていると、M先生から電話で
「三浦アカリちゃんがライブやってるけど、行かないか?」というご案内、食事も程々に中座をし、京都駅前から三条河原町までタクシーで走った。
京都でのライブを聴くなんて、何十年ぶりだろうと考えつつ、こぢんまりとしたライブハウスに入った。既にM先生はビールを片手に席をキープ、少し場違いなオジサン二人組肩を並べて生演奏に聴き入った。

三浦アカリちゃんは昨年のアメリカ研修にも一緒に参加した本願寺仏教青年連盟の広報委員、しかも彼女の両親は私の同窓生、聴くにも力が入るといういうものだ。
彼女もそれに答えるよう素晴らしいブルースを披露してくれ、おまけに『恩徳讃』や『念仏』もロック調でアレンジし聴かせてくれた、脱帽。レコードデビューもするそうだが、とっても楽しみだ。
この子の両親も私も、ついこないだ、と言っても30年前だがきっとこんなんだっただろうなと思うと、月日の流れの速さとしみじみと感じた晩だった。

さて一夜明け、わざわざ余分に宿泊までして京都に残った仕事を済ませるべく、車を観光地に向け走らせた。
教区報『念仏の声』で連載している親鸞様の御旧跡探訪の記事、確か11月号は担当のはず、時間のあるうちに写真だけでも集めておきたい。次号は念仏弾圧から流罪、弾圧で死罪に処せられた「住蓮房」「安楽房」のお墓は外せないと思い、安楽寺へ向かったのだ。

銀閣寺からしばらく南へ下ると、法然院と並んで安楽寺はある。この道は「哲学の道」と呼ばれ、学生時代恋心を弾ませながら歩いた記憶もかすかに蘇ってきたが、そんな感傷に浸る暇なくおじさんはカメラ片手に目標地点に向かうのみ。

しかし、安楽寺に着くと門は矢来を置き「拝観謝絶」の立て札、「あちゃー!」と思ったが、くぐり戸の鍵は締まっていなかった、そぅろと進入し本堂を遥拝し、こっそり廟所の写真はゲットできた。

次は161号線をびわこに添って、福井と滋賀の県境に向かう。
この峠は「愛発(あらち)の関」と呼ばれ、太古より日本海と機内との重要な関所でもあり難所でもあった。
学生時代この峠を倒れそうになりながら必死で自転車で越えた、思い出もある所だ。

親鸞聖人もこの難所で、
『越路なるあらちの山に行き疲れ 足も血潮に染めるばかりぞ』
と言う歌を詠まれたと、石碑が街道縁に立っている。だが、車だと峠越えもあっという間、発見できず相当行きすぎて、畑のおばさんに聞き舞い戻りながらだがゲットした。
まだ、日は高いもう一足伸ばし、鯖江市にある「車の道場」まで行った。
ここは親鸞様が都を離れ、初めて民衆に念仏の教えを説かれた、いわば初転法輪の地ともいわれる御旧跡。流罪という逆境も良きご縁とあるがままに受け止め、進んで行かれる親鸞様のお姿と、学生時代から何の進歩もない我が姿をつくづくと感じながらも、写真だけは一杯撮って帰ってきた。

★昨年のアメリカ研修★
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