10月6日 (土)  還相の働き

今日は土曜日、朝から法事や逮夜参りに追われていたが、一つ楽しみがあった。
今夜は曽我屋の超宗寺さんで真宗講座がある、譲西賢先生のご法話をゆっくり聴聞しようと目論んでいたからだ。
午後からの法事のあと山間部の逮夜参りを済ませ、曽我屋への途中にあるお宅の三七日をお勤めしたら本日の予定終了だった。

ただ、その三七日のお宅は28才になる息子さんが突然の事故で亡くなられた。落胆のなか必死に仏事を勤めておられる家族に、坊さんとして情け無いが何とも言葉が出てこない。
今回も家族親戚の他に、何人もの若いお友だちが涙を溜め無言でお座敷の前列に座っていた。

友人の死を目の当たりにし、人生の不条理をかみしめているこの若者に、何かを伝えねばと考えながらも、やはり言葉となっては何も出てこない。
情け無いと思いつつ気持ちを切替、
「君たち、今晩は時間有るかい?」
と尋ね、
「もし時間があるなら、私も行くから、隣町の超宗寺さんの法話会に来ないかい」
と誘いその宅を後にした。

逃避行のカッコ悪い坊主だなと自己嫌悪を感じつつ、超宗寺さんの本堂に座ってお聴聞をしていると、先ほどのご主人と親戚の方々が本堂に入ってこられた。
しかもその後には、3人の若いお友だちも続いて入ってきた。

譲先生はその方々の尋常ならざる姿から、何かを察しられたのだろう、還相回向の話へと展開していかれた。
『前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ』と道綽禅師のご文を引かれ、亡き方が仏となり私を導いておられるんだと、噛んで含めるご法話を聞きながら、その働きがこの方々をこの本堂へ向かわしめた。

先生が紹介された『亡き人を案ずる私が、亡き人から案ぜられている』
その現実に目の当たりにして、涙が溢れた。

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