9月10日 (月)  総代研修で長浜へ

今日は中川北組の総代研修に出かけた。
あさ今一つはっきりしない天気に気を揉みながら、午前7時半過ぎ本巣縦貫道を南下してくるバスに乗車した。
今回の目的地は滋賀県長浜市、高速を使わず9時半前には到着、まだ開店準備中の商店街をぞろぞろと歩き東本願寺長浜別院(大通寺)の山門をくぐった。
別院の担当職員さんから丁寧に大通寺の謂われや、伽藍の案内をしてもららい、総代さん方もその荘厳さに感心の声。
1時間ばかり長浜商店街の自由散策
「今日はお土産の買えるところには寄りませんよ!」
の、アナウンスで皆さんそれぞれお土産散策しながら、正午に黒壁スクエアー横の昼食会場に集合。私はお土産を買う気もないし20分前には昼食会場に入った、ところが既にそこには半分くらいの総代さんが退屈そうに待っておられた。
やはり、男性軍は見るより呑むがよろしいようだ。

昼食を済ませ、今回の主目的地、虎姫の五村別院に向かった。
予定より少し早く到着したので駐車場は充分な空きスペースがあり、バスも難なく乗り入れすることができた。

本堂に入り待つこと1時間、みるみる10間四面の下陣は参拝客で埋まっていく。満堂になった頃、正信偈(えらく早い)が勤められ、池田勇諦先生の法話が始まった。
お西とお東では聴聞の姿勢がこんなに違うのかと驚いた。会費制でお金を出し、飲物のサービスは全くなし、座布団や腰掛けの出し入れもすべて参加者の自己管理。
しかも、ほとんどの同行(お参りの人々)が、分厚い本典(教行信証)の本を開け、ページを繰りながらノートにメモをとり、その上カセットで録音している。
昼食で呑んだビールで心地よく睡魔に襲われながらの聴聞とはえらい差をつけられた感じだった。

だが、満堂の2〜3百人の同行だが、いっこうに念仏の声が聞こえてこない。たまに聞こえるのは我々の総代さんや住職方からだけである。
池田先生は前席は三心一心の解釈でえらく難しかったが、後席は『非合理なるが故にわれ信ず』と、板書され仏さまの世界を聞かせて下さり、思わず念仏がこぼれたが・・・・

休憩中に縁でタバコを吸っていると、地元の同行から
「あんたらはお西かね?お西の法話は死んでからの話しかしないそうだね」
と、さもお東は今生きていることを問題とした教団だと自慢げにチョッカイを掛けられた。

この辺りの認識が違うのだな、
「死んでからの事だけでは無いですよ、死を踏まえそこから今生きているということを考える法話をいつも聞いていますがね!」

張り合う気持ちはないが、今を問題にしておられるのに、何故、今、お念仏が声となって出ないのだろう・・・今回の研修では一つの疑問が残った。
私の目指す法座は、人智を越えた仏さまの慈悲に触れたとき、その働きが自然と声の仏「南無阿弥陀仏」と本堂に充満する姿に酔いしれたいと思いながら段取りをしているだけに・・・・
こんど、お東の方に会ったら尋ねてみよう。

ともかく、総代さん方は皆さん充実していたと喜んでもらえ、今回の企画も及第点がもらえヤレヤレだった。

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