6月16日 (月)  断念・・・

未明、栃木県足利市の健康ランドまでたどり着き、お風呂に入り休憩室で朝まで仮眠。朝8時朝食を済ませ、健康ランドのユニホームを着替えるためロッカーを開け、携帯を見ると坊守からの着信履歴が並んでいた・・・ン?
折り返し家に電話を掛けると坊守の悲壮な声、
「どうするのぉ?○○さんと○□さんが・・・・」
ご門徒二人の訃報、「お通夜に間に合うように帰る」と言い、その後の段取りを指示して電話を切る。

心配そうにしている、同行6人に「ゴメン、岐阜に帰る」と伝え、これからの行程の説明。
ノートパソコンからデーターを取り出し、Wさんのパソコンへ行程表や連絡先を移し替える。

そんなこんなで少々出発が遅れたが、茨城県の古河市を目指した。
今回の最初の訪問地は群馬県板倉町の宝福寺、古河市への途中でありここだけ一緒に行くことになった。
ところが、宝福寺に着くと入り口は太い鎖と錠前で立ち入り禁止、無住(誰も住んでいないお寺)はずだが、今はセコムが管理しているらしい。連絡先とあるお寺に電話をしても繋がらない・・・塀を乗り越え教区報に必要な写真だけを撮った。

今から12年前の平成8年5月28日、こうした御旧跡参拝旅行の第1回目のスタートが、この佐貫板倉宝福寺であった。(そのときは境内まで車が入れた)
親鸞聖人が建保2年(1214)42歳で関東へと入られる際、洪水と飢饉に苦しむ人々を目の当たりにされ、三部経千部読誦をされようとしたところ。
初めての御旧跡巡り、しかも徹夜で走ってきて朦朧とした中、この宝福寺と渡良瀬大湿地帯に立ったとき、言いしれず親鸞聖人への追慕が高まり、現場を踏むことが感覚で物事を受容する人間には百聞するより確かだと、それから毎年こうした企画で全国を回る動機になったところだ。

親鸞聖人のこのエピソードについて、先日亡くなられた千葉先生が解説しておられます。
http://www.anrakuji.net/tyosaku/eshinni5.html

今回がひょっとすると最終回になるとかも知れないと言っていただけに、16日の親鸞聖人ご命日に原点の佐貫板倉でロックアウト、見知らぬ古河という駅から、法友を見送り一人電車で帰ることになるとは。

別れ際、22才のタウンエース号、皆を乗せて最後まで故障せず安全に走ってくれるよう、念じつつ電車を乗り継ぎ岐阜にむかった。
同行のBlog↓
http://pochi21.exblog.jp/d2008-06-17

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コメント 〈 http://9108.teacup.com/shosonji/bbs 〉
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