3月18日 (水)  お彼岸前の攪乱

3月17日火曜日、花粉や黄砂が飛ぶ気候のせいだろう、なんとなく体が重く慢性的に疲れている感じだった。
いつものように、気合い一発お参りにまわり、別院に滑り込んだが、1時間遅れ小さくなって自席に着いた。

各組織団体の代表者が集まる組織部会、学識経験者というよく解らない資格で委員となっているので責任は無く、安気にパソコンの蓋を開け会議モードに入った。

ところが、なんともパソコンのキーボードが打ちにくい。
背中や頭が何かに押さえ込まれたようないやな感覚になる・・・・
そのうちに、左手の感覚が無くなったようだ。
気持ちはキーボードを押しているのに、まったく指は動いていない。
右手に持ったペンで左手をつつくが、痛くもかゆくもない・・・
これは、ヤバイかもしれない、
http://shosonji.sakura.ne.jp/diary.cgi?mode=popup&y=2008&m=1&d=28
先生が話しておられた感じが思い当たる。

とにかく会議中、協議の腰を折るわけにいかない、指は動かないのでペンでキーボードを押しながら、ネットの繋がっている知り合いの所に情況を発信。坊守にもメールは打つが見ないだろうな・・
http://pochi21.exblog.jp/d2009-03-17

この痺れというか感覚の無さ、だんだん広がっていくのだろうか?
頭はジンジンしているし脳溢血だと、うまくて半身不随だろうかな、ひょっとするとこのままかな?・・・まずい。

今朝の坊守話を思い出した。
「あさ方、夢の中で死にそうになった・・・・今はまだ死ねんので、2年待ってほしいと頼んでいる途中で目が覚めた」と。

小一時間そんなこんなと思いながら、神経のアンテナを体中に張り巡らし会議の終了を待った。
会議が終わると、部長のM上先生が飛んできて、「大丈夫ですか・・・」頭に手を当てて、「脳圧あがっとる、すぐ救急車呼べ・・・」と、

別院から救急車か・・・格好悪いな・・・とも思ったが、あと2年は死ねん、まな板の鯉になった。

ピーポーと、共に白衣の救急隊がやってきた、色々聞かれゴチョゴチョやっているうちに、手の感覚が戻ってきたような?けど血圧は190幾つ200近いらしい、「いつも血圧はどれくらいですか?」と聞かれても・・・体脂肪なら22%位と即答できるのに、プールンでも血圧は滅多に測らないが、高血圧でないことだけは確かだが。

病院は・・・?、M上先生が機転を利かし「市民病院へお願いします」と半ば強要風・・・姉が入院中、家族にとってはありがたい。

生まれて初めての、救急車、乗り心地はあまり良くないし、結構揺れるのは驚きだった。

さて、これも初体験の入院生活・・・つづく

※血栓は流れていった模様、後遺症の心配もなし。ただ、脳内に梗塞の跡が何カ所あるらしい。検査と、様子見で一週間の入院となった。

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コメント 〈 http://9108.teacup.com/shosonji/bbs 〉
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