5月21日 (木)  願成寺住職の葬儀

午前早めに法事を終え願成寺さんに向かった、もともと午前11時から本堂で、ライオンズクラブの法要例会を受け合ってあったが、そちらは法務員さんに任せての移動。

本堂の荘厳や式次第進行の打合せ、ご当家と門信徒の思いと本派勤式作法の摺り合わせ、あまり得意でない部分だが、亡き住職が確かにお浄土にお参りされたと参列者全員が確認できる、そんな葬儀になるよう考えた。

お昼頃にはすべて完了、本堂で総代さん方の休憩歓談に居合わせた。
老齢の総代さん曰く、
「うちの寺は三代前にお寺になったんや、それまでは道場と呼ばれていたんや、ご院さんが頑張って境内を広げ山門や鐘突堂をたて立派なお寺にしてくんさった・・・」

そんな話が耳に入り、思わず口を挟んでしまった
「道場と呼ばれていたのはここだけやないよ、4・5百年ばかり前はここら界隈の本願寺のお寺はみんな道場と呼ばれていたんやで、2・3百年の時差があるだけやで」

本願寺のお寺の中に歴史や格式を全面に出し、威張っているところもあるが、そのお寺が今生きているかどうかは、一人でも多くの人々にお法を伝えようと住職寺族門徒が励んでいるかがポイントである。
その点、このお寺はどんな格式や伝統にも負けないものが有ると感じているからだ。

午後一時からの葬儀、境内には大勢の会葬者で長いお焼香の列、お勤めも後半はペースダウン、組内法中も一糸乱れず動いてくださり、お勤めと焼香がピッタリ終わった。

出棺を見送り本堂の片付けを見届け午後三時ご無礼(岐阜では「さよなら」の格式バージョンが「ごぶれいします」)した。

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