Diary 2004. 10
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10月11日 (月)  インターネットでコミュニケーション

今日は祝日、お取越にお参りしたお家のおばあちゃんが「ご院さん首を長くして待っていました」、そのおばあちゃんの側には、退屈そうに小学生の子ども達が、「あ〜ぁ、やっと来た」。
おばあちゃんのお話では、今日はせっかくの休みだから、どうしても子どもも一緒にお参りさせたいと、遊びに行きたいのを止めていたとのこと。
お葬式があったりで、予定の時間より40分遅刻、思わず謝ったことでした。
お勤めが終わり、お泊まり日曜学校の話になり、来年ぜひ来るように進めると、「知らん子ばかりやでいや」みたいな返事。
となりの居間に目をやると、パソコンが置いてある、「インターネットつながってますか?」
どれどれと、正尊寺のHPからお泊まり日曜学校に行事アルバムを開き見せると、
「この子しっとる!○○ちゃんの妹や」
退屈そうな表情が、一瞬にして輝きの顔になりました。
「それなら、来年はおいでよね」

パソコンはお仏壇から見えるところへ置きましょう。
お参りのあるときは、電源を入れておきましょう。
ご院さんは助かります。


10月10日 (日)  仏壮定例会

第2日曜の夜は仏教壮年会です。
ここ3ヶ月ばかりは、旅行・盆踊り・会食会と定例会をスキップしてきました。
案の定、参加者はちょっと少なめ、15名ほどでした。
正信偈のお勤めの練習をして、正信偈のお話しし、久々で前回どんなお話しをしたのかさっぱり憶えていません、とりあえず作っておいたレジメをもとにアミダ様の12の光についてお話ししました。
ある本に、太陽の光がプリズムを通と7色に分解される、仏さまの光明を正信偈ではプリズムを通したように解りやすく12の光でその働きを表していると説明してありました。
今回の定例会の為に勉強する時間が作れず、その本のお話を丸々話して何とか切り抜けました。
せっかくお疲れのところ集まった皆様には申し訳ないなあ、と反省。
来月は、ボーリング大会、再来月の定例会はちゃんと勉強し、お話したいものです。


10月9日 (土)  22号台風直撃??

昨夜からニュースで台風22号今年9個目の本土上陸。しかも紀伊半島から東海地方直撃のコース、台風準備にはほとほと疲れましたが、今回は危ないぞと思い前日に準備万端整えました。
なぜなら、今日は鶉地区(お寺から30分以上かかるところ)お取越の最終日、しかも糸貫でお葬式、日中はお寺に戻れないと覚悟していたからです。
そんな中、午後1時からのお葬式、暴風雨ので一体どんなことになるんだろうか、気が気ではありませんでした。
けれど、実際その時間になっても風は吹かず、こちらが走り回っているうちに伊豆へ上陸のラジオ放送、やれやれと胸をなで下ろしたことです。
しかし夜のテレビのニュースでは関東地方では相当の被害が出ているとのこと、被害に遭われました皆様には、心よりお見舞い申しあげます。


10月8日 (金)  中川北組研修会

今日の午後は、組長さんのお寺、光輪寺本堂で中川北組門信徒会運動の研修会がありました。
小雨降る中、門徒さんとご院さん方約40名が集まり、本山から出講して頂いた鳥羽聿子先生(中央相談員)からお話を聞きました。
一般には、お寺=暗い・年寄り、と言ったイメージで活気が失われていると思われがちだが、本来の活気ある、人生の拠り所となるお寺にするにはどうしたらよいのか、総代さんと一緒に考えさせてもらいました。
常々私は、親鸞様のみ教えは素晴らしいもので、、全ての人々を救うという願いを私の中にいただき、又それを身近な人々へ伝えるエネルギーが身に付くと思っています。
そのエネルギーのお陰で、楽しく教化活動をすることが出来ます、しんどい時も無くはないですが、本堂に子どもからお年寄りまで集まり、共に仏さまの願いを聞ける状況の演出、これがうまくいくととても幸せな気持ちになれる。
それ以上もなければ以下もない、それで良いのだと、今日の研修会でも私なりの帰結に至ったことです。
正尊寺からは5名の総代さんと飛び入りで参加された3名のご門徒さん、ご苦労様でした。

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10月7日 (木)  減量せねば

お取越が始まるといつも思うことです。
年齢と共に右肩上がりで体重が増えていきます。
昨年の今頃と比べると、2sは増えているように思います、久しぶりにお参りするお宅で「ご院さん、一段と恰幅が良くなられたような・・・」
「そうですかねぇ、いやぁ〜、よわったもんです・・」
と言いつつ指摘されなくても、たて続けに回るお取越、足のしびれで誰よりもそのことが身にしみているのです。
最近通うスポーツジムは夜12時まで営業しています、もうちょっと根を詰めて通わねばと、親鸞様の報恩講であるお取越が背中を押してくれるようです。


10月6日 (水)  お取越のスタート

いよいよ今日から、お取越が始まりました。
岐阜市鶉20戸のご門徒を3日間に分けてお参りします。
久々の正信偈五十六億和讃、最初のお宅では知らぬ間に「弥陀成仏のこのかたは・・・・」と出てしまい。
しまった、と思いつつ、再度「五十六億七千万・・・」と第1首目を2回お勤めしたことでした。
お取越の佳境にはいると、反対にお通夜の時などフッと「五十六億七千万・・・」出てしまうことがあり、気を付けねば。
ともあれ快晴の中、久しくおじゃましていなかったお宅で、「二人目の孫さんが生まれた・・・、来年は初参式まってますよ・・・」など、ご開山の報恩講を通し門徒とのコミニュケーションを計かりつつお参りしたことでした


10月5日 (火)  来年のカレンダー

今日はお葬式が2軒重なり走り回りましたが、初七日の時間が微妙に空き、別院に寄りました。
思っていたとおり、別院の廊下には来年の法語カレンダーの段ボールが山盛り積んでありました。
事務所に行き、購入代金は持参していないけれど、とりあえず現物だけもらって帰りたいと申し出ると、「どうぞお好きなだけ」と、可愛らしい女性事務員の返答。
例年のごとく、重たい段ボールの箱をえっちらほっちら、しめて900部を後部座席に積み込み初七日に向かいました。
はや、来年のカレンダーを配る準備、一年の早さとこのカレンダー一つ一つを配る為に、回るお取越のことを考えると、車の後部座席のようにちょっと気が沈みます。
けれど、このカレンダーを楽しみにしていてくれるご門徒の顔を思い起こすと、「ヨッしゃァ!」と気合いが入ります。
これから三ヶ月、1日たりとも休むことの出来ない日々、アニマル浜口ではありませんが、気合なしでは、乗り越えられない季節です。
頑張ります!!


10月4日 (月)  連研修了者の研修旅行

今日は中川北組の連研(連続研修会)の修了者による研修旅行がありました。
朝、正尊寺→織部の里→光輪寺と参加者44名がバスに乗車し、一路比叡山の玄関口、坂本のケーブルカー乗り場に向かいました。
今回の研修旅行は、履修者から要望のあった、親鸞様のご一生を感じられる御旧跡を回りたいという希望を実現する形で計画しました。
組長さんと相談し、比叡山の大乗院(ご修業時代の一端を伺わせるソバ食いの木像があるところ)、青蓮院(9才で得度されたところ)、六角堂(百日間の参籠と法然門下に入る決意をされた聖徳太子ゆかりのお寺)、本願寺、大谷本廟を回るコースを計画しました。
特に、比叡山では一時間あまりの急勾配の山道を歩いてもらい、親鸞様のご苦労の万分の1でも身体で経験してもらおうと、ちょっときつい行程にしました。
参加者の中では最も若い部類に入る私でも、途中膝が笑い出し、秋とは思えぬ日差しで体中ずくずくに汗をかきました。
しかし、帰りのバスでは参加者のほとんどが、ほんとによい経験をししましたと、この研修会に参加したことの喜びを話され、内心安堵したことでした。

今日はお通夜が2件あり、帰り次第お参りに行こうと思っていましたが、だんだん時間が遅くなり、夕方とても定刻には岐阜に帰り着けないと判断し、携帯で連絡を取り院代さんに行ってもらいました。
亡くなられたご門徒の方には申し訳ないと思っています。

※この模様は近々行事アルバムにアップします、お楽しみに。



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10月3日 (日)  町民運動会、改め市民運動会

怪しい雲行きの中、町村合併して初めての運動会がお寺の隣広場でありました。
日曜日いつものように日曜学校の準備をして待っていても一向に子どもが来ない。
そのうち、兄妹二人連れできた子が「ご院さん、今日は町民運動会やで、みんな来んやろう〜」と言われ、やっぱり休校にしておくべきやったかなと反省。
けれど、どうせソバまで来るんだから、寄っていってくれると期待したが、残念。
ともあれ、そうこうしているうちに10人ばかりになりいつも通り、一緒にお勤めをして。
王舎城の韋提希夫人の苦悩についてお話をしました。すると、話の途中で女の子が、「その人は息子に殺されそうになったかもしれんけど、私だって、いつもいつも親にガミガミ言われっぱなしで、もっと苦しんどるわ」と、目を三角にして食ってかかってきました。
その時私は「お母さんに何か言われたら、言い返さずに、頭の中で仏さんを思い、お念仏してみよか」「次ぎ来たときに、どうなったか教えてね」。
次回からの日曜学校がまた楽しみになってきました。



10月2日 (土)  発見

いつも私と仲良くして下さる、正蓮寺さんがネットで日記を書いているという情報を得ました。
早速覗いてみると、「西蔵坊」と題してあり、おぉ、チベットかと一瞬思いましたが、たしか正蓮寺さんが浄土真宗になる以前の大昔、西蔵坊という名前だったような?
内容は鷲岡住職の毎日の日記ですが、ほのぼのとした心地よい感性が伝わってきます。
かのご住職は私の頭から、おごりや名誉心の髪の毛が生えてくるとチョキチョキと切ってくれるような人です。
一度皆様も覗いてみましょう

http://pochi21.exblog.jp/


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