Diary 2004. 9
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9月30日 (木)  少年連盟理事会

連続の会議です。今日は理事会と言う事で各ブロックの代表者と専門委員長が集まっての会議です。
この会議は少年教化の方向を決める重要なもので、各委員会や事務局から様々な協議事項が出され、どうなることかと思いましたが、何とか朝から夕方まで1日で終える事が出来ました。
会議の始まる前には、速水総務から辞令の伝達がありました。
それには平成19年度まで理事長を委嘱すると書いてあり、こんなポジションを4年も勤めなければならないのかと指折り勘定すっるだけ背中が丸くなりました。

ちょうど今日は、御影堂の大棟獅子口据付式(鬼瓦を据え付ける式)」が午後から有ると聞いており、巾4m近く有るといわれるご本山御影堂の鬼瓦、実物はどんなんだろう?、大変興味があります。
せっかく本山にいるのだからちょっと長めの休憩を取って見に行きたいなぁと、事務局にそれとなく話してみました。
「山のような協議事項ですよ」と睨まれ、あえなく却下。
1時間に5分ずつ、たばこ休憩をお願いするのが精一杯、残念なことでした。

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9月29日 (水)  競争心

今日は本山で少年連盟教材委員会に出席しました。
明日は引き続き理事会があるので、そのまま泊まっています。
明日の会議のため上山された福岡の松月先生と、会議のための事前打ち合わせをしました。
その折り、HPの話になり「最近毎日日記を付けている!」
ネットの不調で半年ほどほとんど更新の無かった海徳寺ホームページ、ほとんど覗いていませんでした。
さっそく部屋に帰り覗いてみると、確かに9月から毎日付けてある、しかもその内容が濃い。
私の薄っぺらな雑記とは、ちがうなぁ、と敗北宣言です。
まあ、私の信念はコツコツ難しいことは考えず、何でもいいから書き込んでいこうと言うものです。
が、ちょっと向上心をくすぐられ、負けるものかとも思いつつ、無理せんとこ、とも思ったことです。

リンクにもありますが、私の尊敬する海徳寺さんの「住職つれずれ日記」是非尋ねてみて下さい

http://www.kaitokuji.com/index.htm


9月28日 (火)  吉崎御坊

きのうに続き吉崎御坊での研修会。
本堂でお朝事をお勤めし、輪番さんの説明で吉崎御坊の跡地散策しました。
ここへは何度も来たことがあるのですが、現場を回りながら輪番さんじきじきに説明をしてもらうのは初めてのことです。
いたるところを細かく説明してもらいながら、「ぁ、そうだったのか、・・・なるほど・・・」
吉崎御坊と蓮如上人、そしてこの近隣のご門徒の歴史を今一度再確認させられました。

私の目標は、蓮如上人の時代のように、雲霞のごとく参詣者であふれるお寺にしたい・・、ですが、車のないあの時代こんな辺鄙なところへ毎日1万人以上の参詣者があったとか、私にはとうてい歯が立たないと実感し、せめてその50分の1位をと、目標を大幅下降修正し頑張ろう心に決めたことでした。
吉崎御坊が火事の時、泡を吹いて類焼を食い止め、その時のやけどをして真っ赤になったという蓮如蟹、実物を初めて見て、思わず手が合わさりました。


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9月27日 (月)  福井での研修会

今日は福井県の吉崎に来ています。
第2連区(富山県・石川県・福井県・愛知県・三重県・岐阜県の中部地方)の日曜学校指導者が集まっての研修会が吉崎御坊で行われているからです。
今回の研修会は横浜の成田智信先生を迎え、『子供のまなざしに学ぶ』と題し、子供とのコミュニケーションについて、カウンセリングワークショップという教育心理学などで用いられている方法での講義を聞きました。
今回の講義は、机に向かってお話を聞くばかりでなく、子供の心の有り様を感じる実践として参加者が輪になり自ら体験させてもらいました。
すべての物を遮断せず、関わり続ける中にこそ本当の心があると、仏教の縁起とコミニュケーションとは通ずる物があると教えてもらいました。

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9月25日 (土)  永代経無事終了

3日間の彼岸永代経法要が無事終わりました。
今日は土曜日しかも青天、遠くから運動会のアナウンスが流れてきます。
土曜日なのに例年に比べ、お参りの人の数が少ない?
あちこちの小学校で運動会の花盛り、後生の一大事も孫には負けてしまうのだろうか?
ともあれ、9月の行事は終了、月末は研修会や会議でまたお寺を空けます。
それまでに、お供え物を配るように段取りをしたり、10月からスタートするお取越の案内準備に追われています。
お彼岸が終わると、つるべ落としの夕方、秋風と共に懐かしい顔を見にお取越に参りますよ。


9月24日 (金)  永代経開闢法要

今日は雨が止んだかと思うと、突然雷が鳴りどしゃ降りになったり、大変不安定な天気でした。
そんななか、秋彼岸永代経法要の第2日目を朝からお勤めしました。
今日は開闢法要もある事で、礼服を着た方々も沢山お参りされました。
今回は15名の方の法名を掛け軸に新たに記載しての、開闢法要25名ほどの有縁の方々がお焼香をし、お斎にも付いて下さいました。
永代経法要もこの開闢法要が済むと折り返し、もう一がんばりです。

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9月23日 (木)  お彼岸のお中日

今日から3日間の彼岸永代経が始まりました。
今日のお中日は初日で午後からだけの法要とお説教、お参りは今少し少ないようでした。
しかし、ご講師の袋田先生はマイペースで、いつものように大きな声で浄土真宗の安心についてお話しして頂けました。
まだ明日明後日と2日間あります、これらの日はお斎も準備していますのでゆっくり1日お参りください。

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9月22日 (水)  久々に北山へ行く

今日は午後から数年ぶりに旧美山町の今島へ行きました。
ここはお寺から山間の道を1時間以上かかってゆく正尊寺の門徒の中ではもっとも山間部に当たるところです。
昔はこの山間部に100戸以上の門徒が有ったそうですが、現在はひとりも人は住んでいないところです。
今回行ったのは、現在住んでいるところにお墓を建てるので、かつての在所今島のお墓を移動する為に遷座のお勤めのためでした。
神崎川に添って細い道を進むと、山に囲まれ空がどんどん狭くなっていき、大きく育った杉林の日も当たらない中にお墓がありました。
案内して下さったご門徒は、昔は学校まで1時間以上かけてこの道を通ったものだ、雪でも降ると午前中かけて学校にたどり着いた事もあった、懐かしそうにお話ししておられました。
苔むしたお墓でお勤めしながら、ここに葬られた方々は、この奥深い山の中に何代にも渡り、浄土真宗のみ教えを大切に皆が助け合い暮らしてこられたことだろうなと、感慨にふけった事でした。


9月21日 (火)  お彼岸の準備

暑さ寒さも彼岸まで・・・
とはいうものの、何でしょうかこの暑さ。
お参りに行きお勤めをする度に、絞るような汗が出ます、たまりません。
23日から始まるお彼岸の永代経の準備もつつがなく進み、法名軸に今期開闢の法名を書き余間に安置。
今日は夕方から大垣まで永代経の間にたてる蝋燭を買いに走り、これでほぼ準備完了。
後は沢山の参詣者を待つだけです。
どうか皆さん、太陽が真西に沈むこの季節どうか本堂に座り、我が人生の目的を共にお聴聞しましょう。


9月15日 (水)  本山での会議

三河での研修会を午前中で離れ、また本山に戻ってきました。
三河吉良町から京都は思ったより遠く、3時間以上かかってしまい、会議をしておられた連盟史編纂委員の方々に、最敬礼でした。
この委員会も連盟史出版の最後の校正作業、一字一句こまかなチック、まぶたが引っ付きそうになるのを必死でこらえ、ページを追っていました。
この4日間西へ東へ時間に追われ走り回り、疲れがたまり申し訳ないことでしたが、夜7時頃にその作業も終了し、いよいよ発行を待つばかりになったようです。
この本の為に12年間執筆作業をしてこられた、長島委員長や委員の皆様、ご苦労様でした。

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