Diary 2004. 9
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9月14日 (火)  三河での研修会

今日は愛知県幡豆郡吉良町にある教連寺さんに来ています。
岐阜教区と東海教区の少年連盟合同研修会がこのお寺を会場にして行われているからです。
今回の研修会のテーマは「お念珠」実際に木の実を削ってお念珠を製作するという、けっこう楽しい研修会です。
今日の所は木の実をグラインダーで削り、ペーパーで仕上げ穴を開けるまでの行程で、明日はそれを完成させる。
日曜学校でこども達といっしょに作るたり直したりできるように、教えてもらえるようです。
大勢の参加者が一生懸命にお念珠作りに励んでいる姿、夏休みやり残した宿題の工作を必死に作る子供のようで、なかなか良い光景です。

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9月13日 (月)  本山伝道院出講

今朝、車にプロジェクターを積み込み本山の伝道院へ行ってきました。
伝道院住職課程(本願寺の布教使さんを養成する学校)の後期受講者へ少年教化について3時間お話をするためです。
話の得意でないこの私、パソコンとプロジェクターを駆使し、退屈させず、幼少年への教化の大切さと、その方法を冷や汗をカキカキ何とか責務を全うしてきました。
今期は18名の受講者しかありませんでしたが、その中に本巣市川西の正光寺さんのお嬢さんがおられ、親近感が涌きつい力が入ると、岐阜弁まるだにしになっていたようです。
休憩時間に、講師控え室に青木さんが訪れ
「杉山先生、岐阜弁私には懐かしいけれど、意味の分からない人もいるかもしれませんよ」
と指摘され、途中からテンションを落とし標準的な言葉で気を使いながら話す始末。
ほとほと、疲れました。
けれど、この中から何人かは本気で現代の悩めるこども達を救う住職や布教史さんが育ってくれることに期待をしつつ、高速をひた走って帰ってきました。


9月12日 (日)  仏教壮年会の懇親会

今日もあわただしい1日でした。
午前中は法事、それを済ませ午後2時には滋賀県近江八幡の八幡別院にある滋賀教務所会館での滋賀教区少年連盟指導者研修会への出向。
考えていたより道のりに時間がかかり、高速道路を結構飛ばしました。
研修会での話し合いに時間がかかり、5時終了。
また、すっ飛ばして帰ってきました。
6時からの焼肉懇親会、40分程遅刻。
すでに、テーブルには空のビール瓶が一杯並んで、会員は皆赤い顔で上機嫌。
またまた、それに追いつくのに超特急で駆けつけ、6杯という感じでした。
毎年秋にはこうして、境内にゴザを敷き、炭をおこし肉や魚を焼きビールを飲み交わし、親睦を深めています。
本堂のアミダ様もモウモウと立ちこめる焼肉の煙の向こうから目を細め微笑んでいて下さることでしょう。
会の最後は、「恩徳讃」、住職の挨拶では「来月の定例の勉強会も来るように」と締めくくったことでした。

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9月8日 (水)  布教団の研修会

昨日今日の2日間第2連区(北陸地方と東海地方)の布教使さんが集まって研修会がありました。
台風18号が接近する中、長良川畔のホテル十八楼の会議室は一杯、100名位の参加がありました。この悪条件のなか良くまあこれだけ出てこられたなぁと感心しました。
講師は正尊寺真宗講座にも来て頂いた、福岡の成照星先生で、現代布教にについての講義と熱い宗学についての討論会がなされるなか、親鸞聖人の教えの根幹に立つ布教のあり方が見えてきたように感じました。
その日の懇親会は「長良川の鵜飼」のはずでしたが、暴風の為当然中止、北陸から来た方々はちょっと残念そうでした。


9月6日 (月)  地震

昨夜は2回の地震で焦りました。
特に夜半の地震では、グラグラと結構長く揺れ続け、懐中電灯を手に廊下の扉を開け、家族全員いつでも外に逃げて飛び出せるよう体制を整えていました。
何せ、正尊寺のお庫裏は100年前に中古物件を移築したという建物で、あちこち柱が腐ったり虫に食われたり、大きな地震では間違いなく倒れると言う不安があるからです。
揺れがおさまり、テレビで地震情報を見ながら、震度4、そんなモンかな?と思いつつ津波情報や何やら見ながら、全国的にもたいしたことがなかったことを確認し、安心して床に付こうと思いましたが、結構興奮していたのかなかなか寝付けませんでした。
その結果、朝寝坊、その上けだるい蒸し暑さ、シャキッとしない1日でした。


9月5日 (日)  夏休み明けの日曜日

9月最初の日曜日、朝8時から日曜学校が始まりました。
まだ、夏休みの余韻か集まりは悪く10名程、それも8時を過ぎてからぼちぼち集まってくる。
この5日ばかり老院が風邪で不調、今朝も「今日はとても起きれん」の一言で、パニック。
法事やなどのお参りの段取りを組み替え、少しでも早くお参りに出て行かなければ。少々焦った日曜学校。その後、こども達はマイペースで院代さんとゲームをしお琴も練習して帰ったようです。
夜は、来週行う仏教壮年会のバーベQ準備の役員会が行われました。
年々段取りも良くなり、材料の買い出し担当の割り振りもすぐに決まり順調な役員会でした。
その役員会の話では、「今年は台風で野菜があかん」「なすびは無しにしよう」と、例年ならどうするかと思う程集まりすぎる位に野菜が集まるのに、天候による不作の話題で持ちきりでした。
ともあれ、役員の皆様ご苦労様です。

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9月3日 (金)  京都奈良と飛び回る

今日は午後から本山で少年連盟史(明治から現代までの少年教化変遷史)の編纂校閲委員会があり私も立ち会うようにとのことで出席しました。
偉い先生方が並ばれ発刊前の最後の校閲作業、私は初めての出席、ただ黙って熱く戦わされる議論を見守るだけ。
何百ページにも及ぶゲラ刷り原稿から、様々な指摘がなされ、ページを追うだけで疲れてしまいました。
夕方には奈良の三木先生の勉強会に引き続きダッシュで移動し出席。
先生からは「えらい、背広着てネクタイまで締めて、どないしたんや?また本山か?ご苦労なこっちゃな」と労いとも揶揄とも、頭カキカキ「面目ありません」と遅刻した言い訳をする始末でした。
本山の会議では、今から半世紀前はお寺の日曜学校も、「大東亜共栄圏のために戦おう」と幼子にお釈迦様が涙されるようなことを、勧めた時代があったことを資料の上から、逃れられない事実であることに目を向けさせられ、真剣に反省しこれからの時代に決してそのようなことがあってはならないと心新たにしました。
奈良の勉強会では「橋のない川」の原作者、住井すえさんについての話を三木先生から聞かされ、私の心の奥底に潜む、差別心について考えさせられました。
今回はどちらも、あまりにも重い課題ばかりで、グッタリ疲れて帰ってきました。



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