Diary 2004. 10
メニューに戻る
10月31日 (日)  10月も終わり

早いものでもう10月も終わりです。
日曜日の今日は朝から日曜学校から始まり午前午後の法事やお取越にせわしなく回りました。
ただ相変わらず肩から背中に掛けての痛みは消えることなく、お参りしても頭を屈めての挨拶が辛かった、きっといつもより不遜なな態度に映ったことだろうと思います。
夜には、仏教壮年会の役員会があり、再来週行われるボーリング大会の打ち合わせ。
今回はいろいろな行事と重なったらしく、参加者は少ないようです。そんななか、いつもなら成績上位者とブービーには豪華商品そして全員に参加賞が準備されますが、今年はそれを止め、その分を新潟の地震被災者への義援金にしてはという提案がありました。
昨年と今年、2年にわたり親鸞様の御旧跡を訪ね、新潟を旅行した正尊寺仏教壮年会、ご開山がご流罪になられても暖かく迎入れられた方々の末裔が難儀をしておられる、何らかの力添えができるならと言うことで、役員全員一致で今回は商品無しと決まりました。
今回は商品を競わず、親睦として楽しもうという会員の思いに、ありがたいことだと思ったことです。

20041031-1.jpg



10月30日 (土)  50肩??

今朝、朝食のあと何気なく両腕を上げ背筋を伸ばしました。
と同時に右肩甲骨の内側に痛みが走りました、「痛ててて・・・、背中の筋肉が吊った」
足や手のコブラ返りなら筋肉を反対にひっぱて伸ばせば直るけれど、相手は背中の筋肉、腕を回そうが引っ張ろうが、いっこうにコブラ返りの筋肉が伸びません、上半身裸になって家内に揉んでもらっても痛みは取れない、応急処置でピップエレキバンを貼り午前の法事に出発。
お勤めの間は気合いが入りなんとか済ませ車に乗り、後ろを確認しようとしても身体も首もまったく回らない。目だけ動かしバックミラーで確認しながら何とか帰ってきました。
午後は本堂での法事、少し時間があったので少しだけ横になりました、するともう寝返りもできず起きあがることも儘ならず、あわてて友人の林雙寺さん(MTSという整体の大家で、家内の腰痛も一発に治してくださる整体師を副業にしているお寺)に電話し相談、
「50肩かなぁ?とりあえず看てみましょうとの返事」
痛みはだんだんひどくなり、午後の法事では合掌礼拝するにも脂汗が出る始末。
何とか気合いで三部経をお勤めし、大垣の林雙寺治療院へ行って揉んでもらってきました、首は回るようになりましたが、まだ背中は吊ったように痛い。
言われたとおり、今晩は禁トレ・禁酒で早寝します。

20041030-1.jpg 20041030-2.jpg



10月28日 (木)  お取越順調な滑り出し

お取越の本格スタート3週間が経ち、順調に進んでいます。
昨年より1日早く100軒目をクリアしました。
一年一度のご縁の所もたくさんあります、お嫁さんを迎えたり出したり、特に赤ちゃんが生まれたりお腹の大きなお嫁さん姿を見るとうれしくなります。
「来年5月の『初参式』には必ず来てちょうだいね!」手渡すカレンダーをめくり「この日やでね」
と既に5人ほどの受式者をGetしました。
報恩講の冊子を配り、お取越のいわれを話しもし、世間話に花も咲かせつつ、そのお宅の情報収集を怠らないよう、五感を研ぎ澄ましながらのお取越参り、ちょっと疲れますがそれ以上に住職としての充実感が味わえる3ヶ月です。

20041028-1.jpg



10月24日 (日)  日曜日いろいろ思う

今日は日曜日、朝は日曜学校。
近頃子ども達の寄りが悪い、今日は3人の女の子、先週も違うメンバーの3人だけだった。
10月は地域や行政で様々な行事がある、今日も子どもに聞けば『ボランティア44』という、旧本巣町上げてのボランティアの日、子ども達も忙しいのだ。
けれどそんな日でも、不思議と誰も来ない日は無い、必ず誰か
「ごえんさん、今日、日曜学校やる?誰も来んと思うけど!」
と駆け込んでくる。
とりあえず毎週日曜日は本堂は開けて待つ、一人でも二人でも良い・・・
時には40人50人になるときも来る、私が関わって25年間この繰り返しできた。
私だけではない、祖父の代昭和初期からずっと続いて来た、正尊寺日曜朝の光景だろう。


10月23日 (土)  新潟で地震

台風23号の災害で兵庫県北部を心配していたら、今度は新潟で地震。
テレビの報道でこれは只事でない、早速新潟の知人に電話をしようと思った、
「テレビでは新潟方面電話回線集中の為繋がりにくい」と放送されている。
知人への電話は思いとどまり、法務員をしてくれている鈴木君へ電話し、状況を聞くことにした。
彼は実家が新潟市、その親戚筋が私の知人でもある。
さすがに新潟に両親のいる彼は安否と状況の連絡を必死で取っていた。
震源地から少し離れると、致命的なダメージは無かったとのこと、少し安心してテレビの地震情報を見ることができた。
両親の安否を気遣い、何かあったら飛んでいこうと思う人が電話しようとしても繋がらない、こんな状況の人が沢山いるのだろうな。
私は、新潟へ直接電話することを思い留まって良かったと思いつつ、メールでお見舞を送りました。
落ち着いたら見てもらえるだろう。
今年は仏教壮年会で七不思議を回らせてもらった新潟、洪水・地震と立て続けの災害何と言ってお見舞いしたらよいのか、わかりません。



10月21日 (木)  台風の被害は無し

心配していました台風23号、昨夜岐阜の真上を通過していきましたが、思ったほどの風も吹かず過ぎ去っていきました。
朝起き、境内見て回りましたが被害はまったくありませんでした。
けれど、朝のニュースを見ていると全国至る所で大きな被害をもたらしているようで、被害に遭われた方々には心よりお見舞い申しあげます。

20041021-1.jpg



10月19日 (火)  第17回真宗講座

またしても台風、6月の悪夢がよぎりましたが1日のことで暴雨風はセーフでした。
今年最後の真宗講座、梯実圓和上をお招きし気合い充分でしたが、あいにくの天気、超満堂400名アップは果たせませんでした。
けれど、この雨の中320名以上のお同行と一緒に、しみじみとわたし自身お聴聞をさせてもらい、「世間虚仮」「ただ念仏のみぞまこと」先生のお話の一言一言あじあわせてもらえ、至福の一時でした。
雨の中、ようこそのお参りでした。

※この模様は後ほど行事アルバムにUpします。

20041019-1.jpg 20041019-2.jpg 20041019-3.jpg



10月17日 (日)  プレゼンテーション

真宗講座まであと2日。
前回から3ヶ月も間があったのに、目の前に迫ってこないとなかなか仕事ができない性分。
この3日くらいかけてやっと仏事作法のプレゼンテーションが完成しました。
今回は、お取越のお飾りについてです、皆さんに少しでも楽しく仏事作法を憶えてもらおうとパワーポイントの小技を駆使しました。楽しみにしていて下さい。
ただ、真宗講座のメインは梯実圓和上のご法話です、この三ヶ月間皆様方にお参り頂くよう事あるごとにチラシを渡し、お誘い(脅迫?)してきました。
今回こそ私の目標、超満堂の400名以上門信徒の皆様と一緒にお聴聞ができることを夢見ています。


10月14日 (木)  「こんにちは日曜学校」とどく

一昨日の『西蔵坊日記』で岐阜教区少年連盟の機関紙「こんにちは日曜学校」の発送作業をしましたと書いてありましたが、今日届きました。
A4で厚め上質紙を使ったしっかりしたものでした。
編集委員がパソコンを駆使し下版を作り、輪転機を使い印刷されたもので、相変わらず厳しい予算の中での発行、役員さんの苦労が伝わる広報誌です。
思えば、私が青年時代、岐阜教区の少年連盟に首を突っ込み、教区内のお寺さん方に日曜学校をやってもらう為には、ぜったい広報活動が必要だと言ったのが運の尽き、「あなたしなさい」と当時の委員長から命令され初めて発行したのが、ちょうど20年前の1984年9月でした。
当時はワープロなんて手の届かない夢の器械、和文タイプをカチン・コッチンと一文字ずつ押し、コピー機の拡大縮小機能を駆使しハサミと糊で下版を作り、ザラ版紙にやかましい輪転機で印刷、難儀をした割には、見栄えのしない創刊号を発行したことが鮮やかに蘇ってきました。
今回届いたのが、bR3、岐阜教区の若い僧侶達に脈々と、子ども達にお念仏のみ教えを伝える情熱が続いていることに感激したことでした。

20041014-1.jpg 20041014-2.jpg



10月13日 (水)  「念仏の声」編集会議

午後5時、別院で「念仏の声」編集会議の招集がありましたが、お取越参り久方ぶりのご門徒との会話に花が咲き、予定の時間よりがだんだん遅れ、大遅刻して出席しました。
すでに、紙面割はできあがり、原稿のこまかな最終チェックで、内容に追いつくのにしばらくかかりました。
今回のカラー写真特集は夏に行われた各お寺でのサマースクール、境内や本堂で撮された子ども達の姿、歓声が聞こえてきそうな写真ばかり。
あの暑かった夏に、一瞬心が帰りました、12月にはご門徒皆様のところにお配りします、楽しみに待っていてください。



| 1 | 2 | 3 |
2004/10
SuMoTuWeThFrSa
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

前月     翌月