Diary 2004. 3
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3月9日 (火)  本山で会議

只今、本山に来ています。
今日明日と2日間、少年連盟の理事会と合同委員会、今年で任期終了のため最後の委員会になりました。この4年間の反省や次期への申し送り事項などを話し合い、会議と言うよりも感慨にふけると行った感じでした。
しかし、これで本山の会議に出席する回数も少なくなることでしょう、本山への出張で住職が留守をし、門徒皆様には御迷惑をかけ事もありましたが、これからはそんなことも少なくなると思います。
夜は4年間の打ち上げで懇親会が行われました、本山重役の総務もお二人出席され皆明日の宗門を熱く語り合いました。
ともあれ、やれやれです。

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3月7日 (日)  もう一週間たった

今日の日曜学校は先週配った、来月2日の子ども本山参拝の申込書の成果が現れ、普段来ない子もさっそく申込書を持ってやってきました。
子どもにとってお楽しみは絶大の効果です、
「お友だちに話したら、結構行きたがっている子いるけど、良いかなぁ?」と聞かれ、「日曜学校に来る気があるなら、誘って良いよ・・・」
「日曜学校も来ると行ってたよ」
「今度の日曜学校に申込用紙に書いて連れてきなさい」
と言った具合に、こちらの思うつぼになっています。

今日のこども達へのお話は『お釈迦様の四門出遊』で、東の門から出て老人、南の門から出て病に苦しむ人に出会ったお釈迦様の悩みをお話ししました。
すると、またこども達から鋭い質問、「お釈迦様は王子様なのに、何で病気の人助けてあげられへんの?」
「そうや!そうや!お釈迦様は冷たい人や」
またまた一本取られました。がそのあと
「けれど、お釈迦様は、その後お悟りを開き、世界中の人々を2千数百年間も救い続ける教えを残して下さったんだよ」と話しつつ、悟りの開けない私たちは、せめて目の前で苦しむ人を見たなら、その人に出来ることをしなければいかんなあ、と子どもから教えられたことです。

今日はもう一つ良いことがありました。
先日高校を卒業した長女の大学入試の発表があり、希望していた大学に合格しました。
珊瑚礁や熱帯魚の研究がしたいという子どもの頃からの夢で、沖縄の大学で海洋科学を勉強することになりました。
たぶんにこの夢は若い頃ダイビングが趣味だった父親の影響が大と思われますが、ともあれ、来週は沖縄までアパート探しや入学のための準備に、私も付いて沖縄に行ってきます。この寒空からたとえ2日間でも開放されるかと思うと、ワクワクします。


3月4日 (木)  中川北組協議会

昨日の夜は、中川北組の組長(そちょう、と読む)さんのお寺、光輪寺さんで協議会がありました。
中川北組の次年度の行事計画や、予算について遅くまで話し合いがされ、平成16年度の予定がおおよそ決まりました。
中川北組(なかがわきたそ)は旧糸貫町の一色・土岐野と本巣町・根尾村が1つの組になり15ヶ寺で構成されています。組長さんは光輪寺の中島洋晃住職で今年度から就任されました。昨年本巣高校の教頭先生を退職されたばかりで、様々な組の行事や活動に新しいアイデアを出され、前組長の常徳寺さんの時代から取り組んできた活性化がさらに進んでいます。 ありがたいことです。
そんな組長さんに尻をたたかれ、私も与えられた仕事をこなさせてもらっています。
今日も昼間時間があったので、パソコンに向かい今月22日に行われる組連研(それんけん)の終了式にお渡しする、修了証を受講者分作りました。
私は僧侶でありながら、いたって悪筆、ワープロを駆使しそれらしい賞状を作るのに苦労し、いつもこういう時には子どもの頃もうちょっと真面目にお習字を習っておけば良かったと後悔します。
そんな後悔から、我が倅の新発意(しんぼち)には何とか習字をしっかり習わせようとしたのですが、父親と同じ道を歩みそうです。ままならないものです。


3月1日 (月)  卒業式

早いものでもう3月、今日は長女の高校卒業式がありました。
日頃子育てに関しては家内が専門で、学校へ行ったことがありませんでした。
家内が「今日は一巻法事だけだからお昼からに時間を変えてもらって、お父さん卒業式行ってきたら」といわれ、ご門徒と相談したら時間変更OKの返事をいただき行ってきました。高校の裏門へ車で子どもを迎えに行ったことはありましたが、正門からキャンパスに入るのは初めてのことで、体育館が一体どこにあるのやら、誘導の先生に指をさされるまま案内され無事会場に着くことが出来ました。
第一印象、同じ制服を着た体育館一杯の高校生、うちの子を見つけるのは無理かな?
家内から、「写真撮ってきてよ」と言われたものの、どの父兄も保護者席にじっと座って、カメラを持ってうろついている人は誰もいません。
右に習えで、カメラ小僧はやめにして、保護者席の最後列でおりこうに座って見ていました。
30年前には私もこんなんだったかな?と思い出そうとしても、記憶が蘇らないのが情けなく思いつつ、ちょっと寒い1時間でした。


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