Diary 2004. 2
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2月29日 (日)  もう月末

今日の日曜学校は雨の中にもかかわらず、小学校1年生の新人が一人増えました、嬉しいことです。
子どもたちに、お釈迦様は16才でヤショーダラ姫と結婚されたというお話したら、さっそく「わっかー」とリアクション、「そうだね、お釈迦様もヤンパパみたいだったようだね」とかわしつつ、お釈迦様がどうしの生きていく事への悩みを持たれたのか一緒に考えました。
そのあと、毎年4月2日に行われる、岐阜教区少年連盟主催の本山参拝の募集要項を配りました。今年は西本願寺へ参ってから蒸気船のミシガンで琵琶湖クルーズ、春休みのお楽しみ、日曜学校の生徒を増やすチャンス「これから日曜学校に来てくれそうな子なら、学校の友達誘っても良いよ」と、何枚も要項を持たせた子もいました。

明日はもう3月、あっという間の2月でした。

南荘さま、鷲岡さま掲示板書き込みありがとうございました。


2月27日 (金)  オウム裁判に判決

今日はオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告に死刑判決が下されました。
今から9年前、平成7年当時の私にとって阪神大震災のボランティアも一息つき復興の方向が少しずつ見えかけた、お彼岸が始まる寸前の3月20日地下鉄サリン事件がおこりました。
地下鉄から被害者が運び出された駅は、築地別院のすぐそばでテレビに釘付けになったいた記憶が蘇ってきました。
この事件はオウム真理教というカルト集団が無差別殺人テロを行うという、許し難い事件でありましたが、なぜ、高学歴で優秀な若者がこのような集団の構成員となっていったかという報道が当時ありました。
そのなかで、九州の農村部出身の幹部であった信者は、「近くにお寺はあったが、それは風景みたいなもので、仏教はなかった」というよなコメントを紹介していました。
住職になって間もない私には、大きなショックでありました、せっかく近所にお寺があっても、そこでみ教えに遇うことはなかった、それどころか景色にしか見られなかった。
わたし自身、その信者の言葉が頭に突き刺さったまま、この9年間きっとこの人達が子どもの時に親鸞聖人に出会っていたら、あるいは両親・祖父母がお念仏よろこぶ人であったなら、きっと麻原の教えに盲従することは無かったに違いがないと言う確信のもと、お寺のあるべき姿を模索しながらやってきたように思います。

親鸞さまは自らの姿を阿弥陀如来を鏡として「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」としっかり見据えて下さいました。
賢善精進の相を外にしめして、内には虚仮をいだけるものが人間の本性、自ら「最終解脱者」だの「正悟師」だのというのが最も怪しいと見抜いておられます。


2月26日 (木)  ロード オブ・ザ リング

ゆうべ久々に映画を見ました。期末テストが済んだら連れて行ってやるという約束で、昨夜のレイトショウを見るために8時に塾へ迎えに行き、クラスメイトの友達ひとり一緒に載せ3人で観に行ってきました。
ロード・オブ・ザ・リング−王の帰還を観ましたが、3時間以上の大作にもかかわらず、お尻も痛くならず最後までワクワクしながら楽しませてもらい、うちへ帰ったら午前0時を回っていました。
この映画は3部作の完結編で、ニュージーランドの雄大な自然とCGを駆使した映像は見応えがありました。親子共々大満足でした。
一昔前なら夜の8時過ぎから映画を見に行くなどと考えも及びませんでしたが、うちから車で十分たらずの田舎にもシネマコンプレックスができ、便利になったものです。


2月23日 (月)  仏教婦人会の法要

まずは、正尊寺仏教婦人会役員の皆様ご苦労様でした。
また冬に戻った感のある北風が吹きすさぶ中、毎年恒例の仏教婦人会の物故者追悼法要が午前9時半から1日勤まりました。
昨夜は夜なべ仕事で床につくのが遅かったにも関わらず、今朝は夜の明ける相当前に枕経の電話がかかり、睡眠不足で今一しゃきっとしない感がある中、今日はお葬式まで重なり私はバタバタでしたが、役員さんや坊守が段取りよく進め無事終わりました。ヤレヤレです。
2月は結構行事があり負荷がかかっていましたが、今月の行事はこれで終了と思うと、また今も夜なべでパソコンの前にすわってしこしこと書いています。
下の写真は、お参りの会員さんに、このホームページを是非見るように力説しているところです。
その効奏して、カウンターがどんどん上がっています。嬉しい限り。
特にお婆ちゃん方には「孫に頼んで、見せてもらやぁ!」と若い人たちにもこのサイトが目についてもらえると、もっと良いのにと期待を込めての啓発活動でした。

※ この法要の模様は『行事アルバム』に報告がてらアップしました。是非そちらも見て下さい。

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2月21日 (土)  仏前結婚式

気温20度近く、これが2月かと思うような一日。昨日から準備万端で迎えた仏前結婚式、天気だけは準備出来ないと思っていたのに、ストーブの配置を悩んでいたことが、あほらしいような良き日でした。
今日の結婚式は同じ町内の小川家次男の挙式で、新郎の真吾さんは日曜学校にも来ていてくれた馴染みの子であり、お父さんは仏教壮年会の会長も勤めて下さり、お祖父様は現在総代をして頂いている家庭であります。
イベント大好きの住職はこういう事になると俄然張り切ります。しかも今回の新郎新婦は大変乗りが良く「自宅からお寺まで傘を差し歩いていきます」と、約600m位、途中の国道も横断歩道を渡らず、手旗で車を制止させながら行列してきました。
こうなったら、高砂・や平安◇に負けられないぞ、手伝いの法務員さん共々気合いを入れて、ビシッと決めたくなるのが人情という物です。
おかげで、段取り通り時間配分もバッチリ、過去最高の出来栄えの仏前結婚式が行えました。
御本尊はどこの営利結婚式場も手も足も出ない程素晴らしいのに、会場設備やアイテム、スタッフでかなわないと思っていましたが、近年少しずつ増えてきたお寺で式を挙げたいと言う要望に、充分応えうると確信の出来た一日でした。
結婚式の模様は、「行事アルバム」貼ってあります。

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2月19日 (木)  一休み

毎月19日だけは正尊寺のお定飯(じょうはん:月参り)が1軒もない日です。つまり、一月の中で唯一お休みが取れるチャンスのある日で、一休(19)さんとも呼びます。
今日の法要帳を見たら、まったくの空白、法事もお祥月も七七日参りも何も書いてありません。
21日の仏前結婚式は明日一気に準備をするとして、ちょっと、温泉でも浸かってこようか、と坊守と二人で長島温泉へいってお風呂に浸かってきました。
数年前家族で行った時は大きな大浴場だけだったのが、せせらぎのある山奥の露天風呂と錯覚するような、自然風のリゾートに変身していたのには驚きました。
それに、そこで働く係の人たちも愛想良く親切で、かつての長島温泉のイメージを払拭していました。
天気はよいし気持もよく、ちょっとしたリフレッシュができました。

21日(土)正午から本堂でご門徒の仏前結婚式が行われます。仏前結婚式に興味のある方どうぞ見学に来て、若い二人の門出を祝福してあげてください。


2月16日 (月)  4000カウント達成

そろそろ、このホームページも4000人の訪問者が出る頃かな、4000人目には何かと思っていたら、知らない間に超えてしまっていました。
昨年、8月からリニューアルオープンして半年で4000のアクセス、いよいよ内容の充実を図らねばと、思うことです。
手始めに、遠慮しがちに小さく載せていたカウンターを少し大きくしてみました。
5000カウントの時には、今度こそ何か企画をしようと思っています。こうご期待を!
このHPを訪れの皆様、掲示板の書き込みが少ないのが寂しいです、どんなことでもかまいません、どしどし書き込みをお願します。


2月15日 (日)  涅槃会

昨日から準備をしていた涅槃会、今日は朝から雨が降ったり風が吹いたり、頭を悩ます天気でした。
昨年から始めた行事、今年はご門徒に宣伝も多少しました、午前中のご法事をお勤めしていても、お参りの出足や境内で行う「焚焼(ぼんじょう)」の事が気にかかって仕方ありませんでした。
けれど、1時半頃からボチボチと本堂に上がられる方々がおいでになり、開始時刻の2時には50名を超える方々が集まって下さいました。
本堂にはあまり腰掛けを並べていなかったので、急遽並べ直しました。
昨年は空席ばかり10名程のお参りでした、まだあまりご門徒に衆知できていない新しい行事、しかもこの天気、うれしい誤算でした。
涅槃図をプレゼンテーションで絵解きする法話も40分ほど行いました、住職は冷や汗をかきつつお話をしましたが、真剣に聞いてもらいました。
いずれ、2月14日のバレンタインデーよりもポピュラーな日になることを夢見て、今年はあちこちの涅槃図を見て歩き研究し、絵解きの法話のパワーアップしたいものです。


2月10日 (火)  テレホン法話の録音会

今日は岐阜市岩利の正蓮寺さんでテレホン法話の録音会がありました。
数ヶ月に一度ですが、各自原稿を持ち合い夜7時頃から集まります。今回は10名程で原稿の読み合わせとチェック、そして録音します。
原稿チェックで出された原稿によっては、このお話では電話で聞いても分からないのでは、あるいは、この表現は浄土真宗のみ教えを誤解する人があるのではないだろうか、等々。
今回、私の原稿はすんなりOKを出してもらえ、ヤレヤレでした。
10名分の法話の読み合わせに時間はかかりまが、かつてはカセットテープやMDに録音していましたが、今はCDで各局に配信するために、パソコンに直接録音します。この分野の進歩は目を見張るものがありますが、その順番待ちをしている間はお寺の情報交換の時間になります。たいてい、家に帰るのは夜中の12時を回ります。
今月は15日の夜にももう一度録音会が行われ、15名30話位のストックを作り、順次テレホン法話として流していきます。これは、ひとりでなく気のあった仲間が寄り合い行うから、20年以上続いてきたといえましょう。
このホームページにもテレホン法話の原稿アップしています(この頃、更新ちょっと遅れ気味、今日新たな原稿を入手しましたので今後は順調に更新できるはず)是非、お立ち寄り下さい。
また、ご家族の皆様へもテレホン法話を聞いてもらうようにお勧め下さい。


2月8日 (日)  長い一日

今日は第2日曜日、仏教壮年会の例会のある日です。
めったに巡り会わない8日の日曜日、これが辛いのです。普通は第二日曜の前には第二土曜日があります、毎週朝の日曜学校は第二だけは土曜日に行っています、日曜日の忙しい日に朝から夜遅くまでびっしり予定が詰まってしまうは辛いので、学校の第二土曜が休みになってからこの日だけはずらすようになったのです。
けれど昨日は第1土曜日、今朝は第2日曜だけれども朝8時前には雪の中元気に子供が走ってきました。ツルツル滑る雪道にもかかわらず6人のこども達が来てくれました。大人ならさぼりたくなるような寒さなのに、嬉しいことです。先週からハンドブックのお釈迦様の一生を勉強しています。
”お釈迦様はお生まれになって、七歩あるき天上天下・・・といわれた”
「生まれたての赤ちゃんがしゃべるなんておかしい」子供らしい、素直なリアクションでした。
君も沢山の人から尊敬され一生を過ごしたら、百年か二百年後には「生まれた時から、話が出来たそうな・・」と言われるようになるよ、とお話をしたことでした。
日中は法事に駆け回り、夜8時からは、壮年会のメンバーが集まってきました。お勤めの練習をして、お正信偈の内容や意味について勉強しました。力不足でイマイチお正信偈の奥深い内容が伝えきれずもどかしい2時間でした。
次回はもっと事前に準備をしなければと反省です。毎回そう思いながら、いつも付け焼き刃の情けない住職です。それに付き合ってくださる会員に感謝。


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