Diary 2005. 2
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2月28日 (月)  瓦屋さん来たる

今日は午前中本堂でご法事が勤まりました。
法事の途中休憩で庫裏に戻る途中、境内に一台のトラックが入ってきました。
トラックからはご門徒の瓦屋さんが降りてみえて、
「ご院さん、本堂の下り棟(くだりむね)の雨漏り直しておくで」
と言って梯子をかけ昇って行かれました。
下り棟の終わり部分に雨水が通るようにトンネルのような仕組みになっています、素人目では気がつかなかったのですが、そこに鳩の糞がつまり大雨の時には溢れていたようです。

ご門徒の瓦屋さん曰く
「ワシの目の黒いうちは、師匠寺の本堂が雨漏りで腐ってしまうような、面目ない事にはしたくない」
と、暇を見ては時々点検していて下さったようです。

瓦のトンネルの上にアミでゴミ止めを作り、穴の中が詰まらないようにしておいたそうです。
「半年に一回ずつアミに引っかかった鳩の糞を掃除すればだいじょうぶ。」
とニコニコしながら、帰った行かれました。

ご門徒は、皆んな大切な我が寺だと思っていて下さる事を今日も実感しました。

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2月26日 (土)  お寺まいり

実は私が沖縄へ行っている間にお葬式がありました。
先週の日曜学校にお孫さんを連れてきてくださった、前の町長Sさんのお父さんが亡くなられたのです。
24日のお葬式は前住職がお勤めしてくれ事なきを得ましたが、昨日も本山だったので二日遅れにお願いしたお寺参りに今日家族揃って来てくださいました。
10名の孫さん全員揃って本堂でのお勤め、なかなか気持ちの良いものです。

お葬式の翌日、「お礼参り」と呼ばれる家族が揃ってお寺参りをする習慣が今も続いている、ありがたいことです。

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2月25日 (金)  ご本山での会議

昨夜最終の飛行機でセントレアに無事降りたち、今朝はネクタイを締め本山まで走りました。
今日の会議は少年連盟史編纂会議、すでに脱稿はされているのになかなか発刊にたどり着きません。
西本願寺教団という大きな組織、良きにつけ悪しきにつけ様々な考え方やご意見の方がおられ、なかなか難しいのです。
特に昭和の時代軍国主義と戦争一色の世相の中、教団も少年教化も揺れ動いていました。そのあたりの表記で議論がなされ、なかなか結論が出ません。
この議論のなか、日曜学校を指導する私たちとしては、いくら世の中の流が変わっても、如来の慈悲を伝えることに専念しなければと思うことです。
けして、時代に迎合し如来の願をねじ曲げることだけはしてならない、と考えさせられました。



2月23日 (水)  沖縄

今週は少しお休みをもらい沖縄に来ています。
岐阜を出るときは真っ白に霜が降りていたのに、開港したばかりのセントレア(中部国際空港)から2時間シャツ一枚、汗がにじみます。
レンタカーを借り娘のアパートを尋ね、スーパーを回り親ばかしています。
ただ一つだけ、沖縄の唯一の知り合いのお寺へ連れて行き、そこの住職に娘を引き合わせました。
そこのご院さんに、お寺での行事の時人手がいるようなら娘も使ってもらうようたのんでおきました。

沖縄は戦後日本復帰から本格的に開教が行われた場所、まだ本願寺のお寺は20ヶ寺ほどだそうです。
ほとんどのお寺が、借金コンクリート(鉄筋コンクリートをもじる)作りばかり、まだまだこれからご門徒さんを増やしお念仏の教えを広めると熱く語られる、ご院さんの姿に旅行気分に活を入れられました。

※一緒に行った西蔵坊さんのブログも御覧ください。
http://pochi21.exblog.jp/d2005-02-25

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2月21日 (月)  仏教婦人会の法要

今日は一日仏教婦人会の法要が勤まりました。朝から大勢の会員さんが集まり会員物故者の追悼法要が無事今年も終わりました。
役員の皆さんご苦労様でした。

今年はご法話の半分の時間をお念珠作りという実践経験をともなう研修にしようと提案があり、愛知県吉良町の小野先生にご講師に来ていただきました。
小野先生はご門徒のアシスタント4名連れての来院、おかげでどうなるかと思った50名ほどの念珠作り全員完成品を腕にはめて解散することが出来ました。

ただ、私や坊守は細かく根を詰めてする実践のお手伝い目と肩にきています。
よる年波には勝てません。

※この模様は行事アルバムで写真とともに詳しく紹介しています、是非御覧を!

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2月20日 (日)  婦人会追弔会準備

今日は寒い風が吹いていましたが、お昼から正尊寺仏教婦人会の役員さん方が集まってこられました。
明日行われる追弔法要の準備の為です。
冷たい土間でお斎の下ごしらえや本堂の準備ご苦労さまでした。

和気あいあいと賑やかな話し声や笑い声が庫裏をこだましていました。
とても良い雰囲気です。

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2月19日 (土)  うれしいメール

夜、パソコンをつけたらうれしいメールが来ていました。
先々週のご法事の時の報告が上手にレイアウトされたグリーティングカードで届きました。
小学校4年生のお孫さんからのもので、曾おじいさんの法事でした。

こうして三世代が一緒に手を合わせられる、間違いなく曾おじいさんは仏さまとしてこの子ども達に働きかけておられるのです。
その場に立ち会える住職として、喜びを感じる瞬間でもあります。

そして何より、私を待っていてくれるこの子どもたちが私は可愛くて仕方がありません。
しん君、ひで君、ありがとう(^_^)

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2月18日 (金)  法名軸

今日は21日に行われる仏教婦人会追弔会の準備で法名軸に今年度物故者の法名を書きました。
今年度亡くなられたのは5名だけで、すぐに書けました。
しかし、今回法名を書き入れた方々はほとんどがお寺の近くの方々ばかりでした。
子どもの頃「ボッちゃん、ボっちゃん」とやんちゃぼうずをかわいがってくださった方々ばかりです。
思えばこんな方々に、立派な住職になるよう、願いをかけられ、その見えない力によって何とか明後日へ飛んでいかず、ご教化のまねごとをさせてもらえる身になったような気がします。

仏教婦人会の法要、怠りなく準備ししっかり勤めねばと思い返した晩でした。

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2月16日 (水)  時間の合間

今日は夕方から奈良大和郡山の三木先生の勉強会。
夕方まで少し時間が出来たので、報恩講から片付けずにいた御絵伝(ごえでん:しんらん様のご一代を描いた掛け軸)を座敷に掛け、写真撮影をしました。
1年一回報恩講の時だけお掛けする軸です、今年こそは細部までしっかり写真を撮り、御伝鈔(ごでんしょう:しんらん様のご一生の読みもの)のとき、涅槃図のようにプレゼンテーションがしたいと思っていたからです。

デジカメで数枚撮っては、パソコンでその色調やピントを確認しながらの作業、失敗が無くできるのがデジタル、助かりました。

それが終わり、奈良への行程今回は二人だけずっと運転していましたが、結構話に花が咲きあっという間に付いた感じ・・・
先生から還相回向の講義を受け、意気揚々と帰ってきました。

しかも、一緒に行ったM師が4月から本格的に日曜学校をはじめると聞き、また一人、喜びと苦労を共有できるほんとうの仲間が出来たとうれしさが倍増されました。

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2月15日 (火)  涅槃会(ねはんえ)

涅槃会無事終了しました。
今回はウィークDayのせいか宣伝不足なのか、40名程のお参りで、昨年を下回りました。
まだ3回目の行事、右肩上がりで参詣者増加を期待して、おさがりも60個用意していただけに、ちょっとガッカリです。

来年は本物の涅槃図を掛けてお勤めできます、より一層の勧誘声かけを怠りなく、いずれは満堂での涅槃会を勤められるよう頑張ります。

ただ、焚焼のものは昨年よりだいぶ増えたように思います、そのうち焼却炉では間に合わず除夜の鐘の時のように大きな焚き火になるかもしれないなぁと思ったことです。

※この模様は行事アルバムで紹介します、今しばらくお待ちください。

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